タイトルに大きな意味はございませんが8月も終わりとなるとこの言葉が出てきます。夏休みの宿題ももちろんですが、学生時代の夏休みなんていうと、やはり青春の一ページですので悔いのない青春を過ごすということが最後の宿題だったのかなと思いますね。
(因みにcali≠gariの同じ名前の曲がありますね)
30歳も過ぎてくると、フィクション作品の青春的なシーンとはジェネレーションギャップも出てきます。私が高校生の頃はスマートフォンはなく、ラインもまだ普及していませんでした。ガールフレンドと電話をするときは、携帯料金を気にしながら、基本通話無料5分間の壁があったものです。それでも、まだまだITが発達したあとの話で、既にYou Tubeやニコニコ動画は存在しましたし、少しネットに詳しい人の間では、ひろゆき氏は既に超有名人でした。
あまり時が経っていないようにも感じますが10年以上経っているという、アインシュタインの相対性理論の中で生きてきたのではと錯覚するスピードです。
夏の終わりになると思い出す、少し懐かしい感覚と、おそらくは思い出補正(心理学では「記憶の変容」というらしいです)で、どこか切ない夏の終わりをこの年になっても迎えています。過去に縛られるきっかけになるのであまりよろしくはないのでしょうが、分別をつけた上で思い出は大切にしていきたいですね。
(高校の頃撮った写真のデータ、一切合切見当たらないので、振り返れないですが)
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